3月22日、淡路5人殺害事件の平野達彦被告に、死刑判決が言い渡されました。

兵庫・洲本5人刺殺、死刑の判決 神戸地裁

兵庫県・淡路島の洲本市で2015年3月、住民5人が刺殺された事件で、殺人罪などに問われた無職平野達彦被告(42)=同市中川原町中川原=の裁判員裁判の判決が22日、神戸地裁であった。長井秀典裁判長は「全く落ち度のない5人の命が奪われた。動機は極めて身勝手で悪質」と述べ、求刑通り死刑を言い渡した。弁護側は即日控訴した。

引用:朝日新聞デジタル(2017/3/22)

なお、判決では、同被告の精神症状についても触れられています。

 判決は、かつて精神刺激薬を長期間にわたり、大量に服用したため、薬剤性精神病になり、「被害者一家が電磁波兵器で攻撃してくる工作員だ」という妄想を抱くようになったと指摘。事件当時の精神状況について、直接的に殺害を促すような幻覚・妄想の症状はなく、自分の行為が殺人罪になり逮捕され裁判になると認識していたと判断した。

引用:朝日新聞デジタル(2017/3/22)

平野被告は他に、「工作員が脳をブレーンジャックして、殺害意思を持つように強制した」「精神工学戦争を隠蔽(いんぺい)するために仕組まれた」「工作員に仕組まれた犯罪」といったことを法廷で主張し、裁判員が理解に苦しむ場面もみられたそうです。

この件について、甲南大学法科大学院教授で弁護士の園田寿氏が、『洲本5人殺害事件 「何がなんだか分からない状態で」死刑判決』というタイトルで記事を掲載。裁判員の苦悩に共感の弁を述べられています。以下に一部を引用します。

判決文の中で被告人の犯行動機は、次のように説明されています。

被害者らが被告人に対して電磁波攻撃を行なっている工作員であって、彼らに対して報復し、特殊兵器によるこのような攻撃が現実に行われているということを世間に明らかにするということであり、薬剤性精神病の影響によって、被害者らに悪感情を抱くのもやむを得ない面があり、日常的に攻撃を受けていたと考えていたことから、誤想防衛に近い側面も否定できない。

裁判所は、このように特異な世界観が犯行の裏に存在することを認め、誤想防衛に近い犯行だとしながら、他方で、犯行(殺害の決意)への病気の影響は乏しく、殺人は正常な精神状況で行われているとも判断しています。

私には、その論理には溝があるような気がします。

裁判所が死刑を選択した理由の一つに、被告人が法廷において被害者らに対し一度も謝罪の言葉を述べておらず、いまだに被害者らをテロリストと呼ぶなど侮辱し、自己の犯行を「天誅」といって正当化し続けるなどの点を指摘し、まったく反省しておらず、更生可能性が乏しいといった点を強調しています。

しかし、素人的に考えても、このような被告人の態度は、それだけ病気による影響が深刻なのではないかと思えるのです。

罪のない5人もの命が奪われた事件ですから、司法で裁かれるのは当然だというのが、世論ではないかと思います。しかし、裁判という視点を抜きにして平野被告をみたときには、園田氏が指摘するように、「病気による影響が深刻なのではないか」と思われる方が、多いのではないでしょうか。

なお、刑事責任能力においては、公判時の被告に「病気による影響が深刻なのではないか」と一般市民が考える言動があっても、司法判断にゆだねる事件があることは、過去の判例からも明らかです。よって、今回の裁判の結果や内容に異論を唱えるものではありません。

弊社がここで疑問に思うのは、事件(2015年3月)から初公判(2017年2月)まで、実に二年の時間を要していることです。

これは、和歌山県で起きた小5殺害事件(2015年2月)も同様で、初公判(2017年3月)までに二年を要しています。ちなみに中村被告については、事件後の精神鑑定をした鑑定医が「統合失調症または妄想性障害を発症している」とした上で、「(刑事責任に)全く問えないということはない」と証言。被告には、懲役16年(求刑・懲役25年)という判決が下されています。※この件については、押川のブログでも触れています。

事件の重大性、被害者の数、社会に与えた影響等を鑑みれば、司法で裁かれるべきというのが、今の世論でしょう。よってここからはあくまでも推測になりますが、この二年という時間は、刑事訴訟法第314条「被告人が心神喪失の状態に在るときは、検察官および弁護人の意見を聞き、決定でその状態が続いている間、公判手続きを停止しなければならない」の条文が執行され、被告が法廷に立てるよう、精神症状に対する治療を受けていたのではないかと考えられます。

もちろん、刑法第39条の心神喪失は、犯行時という過去の短時間の精神状態が問題になるため、犯行後に精神科医療を受けた結果いかんについては、犯行時の責任能力の判断には関係がないとされています。しかし、裁判員裁判がはじまった以上、一般市民が理解し、正しい判決を下せるよう裁判を進めるためには、被告が法廷に立ったときに、あまりにも奇異な言動を繰り返すようなことがあってはなりません。

こうして平野被告にしても中村被告にしても、法務省の管轄の下、拘置所において(ないしは医療刑務所の一部を借りるなどして)、精神症状に対する治療が行われていたのではないでしょうか。

であれば、押川が常に訴えているように、厚労省管轄の精神科医療からこぼれおちた患者が重大な事件を起こしたときには、司法で裁かれざるをえないという現実があり、しかし司法で裁くためには、法務省の管轄の下、精神症状に対する治療を行わなければならない。そしてある程度、症状が寛解(軽減)した時点で、裁判が行われる……という、なんともいびつな構造ができあがっています。

引用した園田氏の「論理に溝」とは、まさにこのいびつな構造を指摘するものであると、弊社では考えております。そして、そのいびつな構造がある中での判決でさえ、今や、裁判員裁判制度により、私たち一般市民に委ねられています。

司法が法律的判断で事件を裁き、死刑判決さえ下される……この現実を見たとき、難治性の病態失認の精神疾患の患者を医療につなげる業務を行っている弊社の立場からすると、精神障害者の受療中断に対応できる仕組みを早急に作らない限り、被害者はもとより、被告となる精神障害者も救うことができません。