病気というのは、それが大病であるほど、事実を突きつけられるのはある日突然のことが多いのではないでしょうか。

「風邪をひいたから近所のクリニックに」「目が痒いから近所の眼科に」……というような病院の利用の仕方は、誰でも経験があるものですが、たとえばある日ガンなどの宣告を受け、「ならば、あの病院のあの先生に診てもらおう」と即座に思いつく方は、そういないはずです。

それでいて私たちは、心のどこかで、「病気が見つかった場合には、(完治するかどうかは別として)、それなりの治療を受けられるはずだ」と考えています。

ところが本書を読むと、それが儚い幻想であったことが分かります。

日本の医療は、世界に誇る国民皆保険制度の下で運用されています。この制度では、これまでは、医師と患者が望めば、基本的にどんな治療でも受けることができました。医療費が足りなくなれば、政府が赤字国債で補填してきました。

ところが、大幅な財政赤字を抱える昨今、社会保障関係費は毎年1兆円程度、自然増しています。これ以上、医療分野に税金を投入することは不可能なのです。

そもそも首都圏には医師が足りません。病院も足りません。その限界は目に見える形で明らかになりつつあります。

引用:病院は東京から破綻する 医師が「ゼロ」になる日(上 昌弘著)

著者である上氏は、とくに首都圏の医療崩壊は今後ますます加速し、2025年問題(社会保障財政のバランスが崩れると言われている)を待たずに破綻する可能性もある、と厳しく指摘しています。

その背景にある大きな要因は、医師や看護師、理学療法士等の不足ですが、上氏はさらに、なぜ医師の増員が阻まれてきたのか等、利権問題にも踏み込み、詳しく解説していきます。簡単には解決できない、日本の構造的な問題であることが分かります。

一つ事実として興味深いのは、医師や看護師などの数は、「西高東低」(西日本に多く、東日本に少ない)となっているそうです。そして、医師の流出入については、九州、関西、中部、東日本、北海道という地域内でほぼ完結しており、(数の多い)西日本から東日本への移動は少ないということです。

弊社ではメンタルヘルス(精神科)を主に対応していますが、複雑対応困難な事例に対する「首都圏での治療の受けにくさ」については、日頃より強く感じています。弊社押川の著書「子供の死を祈る親たち (新潮文庫)」でも、地方の医療機関のほうが、単純に入院がしやすく、時間をかけて治療をしてくれること、また、地域密着型により親身になってケアをしてくれることなどに触れています。ここには、住民一人当たりの医師や看護師の「数」の問題も関係していると言えるでしょう。

話が逸れましたが、著者の上氏は終盤、「医療は自分で選ぶもの」だとメッセージを送っています。大病を患ったとき、どのような治療法を選ぶのか。どのような病院(医師)を選ぶのか。そして、日頃より、味方となってくれる「主治医」を見つけ、人間関係を育んでおくことの重要性を説いています。

個人個人が健康管理にいっそう留意することはもちろん、弊社からもう一つ付け加えるとすれば、「自分が病気になったとき」のことを、家族や身近な方と、日頃からよく話し合っておくことではないかと思います。

精神疾患に関しては「病識(自分が病気であるという認識)」がもてないことが特徴ですが、これは他の身体疾患にも言えることで、大きな病気であるほど、いざというときには気が動転し、判断が鈍ってしまうこともあります。だからこそ、家族や身近な人たちの間で「もし」を想定して話し合いを重ねたり、希望する治療法を伝え合ったりしておく重要性を、強く感じます。