富岡八幡宮で起きた事件は、舞台が神社だっただけにセンセーショナルに報じられていますが、実家の跡継ぎや資産を巡ってのきょうだいのトラブルは、弊社でもよく相談を受ける事例です。

弟は、6月頃から神社の近くに住居を借り、姉の様子を伺うなど用意周到な動きをとる一方、神社の関係者に電話をかけ、姉の悪口を泣きながら訴えるなど、情緒不安定だったとの報道もなされています。また、姉の退任を求める手紙を、関係各所に2800通も送っていたそうです。

「怨霊となり祟る」投函を依頼 宮司退任求め2800通

これらの行動や、家族だけでなく自らの命も絶ってしまったことを思うと、姉への恨みはもちろん、実家(家業)に対する執着は「妄執」とも言えるほどです。

弊社の経験でも、子供が親や家業への執着をなかなか手放せない、というケースは少なくありません。子供の年齢が上がるほど介入は難しくなりますし、それまで重しの役割を果たしていた親が病気で弱ったり亡くなったりすると、きょうだい間では収拾がつかなくなることも多いです。

なぜそこまで家族に執着するのか。答えは一つではありませんが、幼少期からの経緯を追ってみると、“本人に合った選択肢が用意されていなかった”ということは、あるかと思います。

あくまでも報道から知りえることではありますが、富岡八幡宮の事件でも、弟は長男であり、子供の頃から跡継ぎとして期待されていたことは想像に難くありません。大学も、神職になるための専門の道に進んでいます。

そしていったんは父親の跡を継いだものの、姉が代わりをするようになったのは、弟には神職としての適性がないと家族が判断したものと予測されます。しかし、自分がこれまで歩んできた一本道を、ある程度の年齢にいってから絶たれたとき、別の生き方を模索することは容易ではありません。それが専門職であればあるほど、心理的葛藤は大きいでしょうし、現実的なハードルもあります。

弊社への相談事例において、「親が医師や弁護士」といった職業をもち、その道を子供にも強いてしまった親からの相談が少なくない理由も、この辺りにあるかと思います。

これは、職業だけに当てはまることではありません。幼少期から、「うちの子はこういう子だから」と決めつけてしまうことも、その一つです。中でも近年よく見られるのが、子供のコミュニケーション能力を正しく把握できていない親です。そこには、軽度の障害や、言語理解力の乏しさといった背景がある場合も多く、本人は、他者と会話が成り立たない、自分の考えをうまく伝えられないことにもどかしさを感じています。

しかし、暗記を主とした学力テストなどでは一定の成績がとれることもあり、親が、本人の生きづらさに気づくことはありません。表面的な成績にとらわれ、我が子の対人関係やコミュニケーション能力など「生きていくためのスキル」が、どの程度なのかを、見極められていないのです。

やがて本人が社会との関わりを拒むようになり、親子関係がこじれてもなお、親は「(一般的な就業や就職などが)うちの子に、できないわけがない」という認識を変えることができません。

こういった親の姿勢が、知らず知らずのうちに子供の人生から選択肢を奪ってしまいます。子供も、等身大の自分を受け入れられず、資格取得など理想ばかり追い求めてしまうからです。それでうまくいくことはほとんどなく、苛立ちや焦り、将来への不安などが家族への執着として跳ね返ってきます。

と同時に、価値観が大きく変容している現代において、職業にしろ資産にしろ、親を含め代々のものを引き継ぐことの難しさを感じます。親世代の価値観のまま子供の人生を導くことは、もはやリスクの高い行為と言えます。今回の事件は、神職のような仕事であっても同様のことが言える、ということを、図らずも証明したように思います。

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