親の責任とは何か。考えさせられる機会が多くあります。

子供が心の病気になったり、人間関係でつまずいて就労(就学)が難しくなったりすると、「かわいそう」という感情を前面に出して、子供に対応してしまう親がいます。子供はすでに成人しているのに、「不憫だ」という気持ちが先走ってしまい、「〇〇のことは、お父さんとお母さんが一生、面倒をみてあげる」などと言い聞かせて過ごしているのです。

本人との関係が良好で、親も元気で安定した収入が得られている間はそれでよいかもしれませんが、弊社の見てきた限り、20代の頃からそのような対応をとっていると、年月が経つほどにこじれていくことがほとんどです。

その理由として、適切な治療を受けられていないために病状が悪化していることもありますが、もっと根源的なこととして、「社会との関わりがないと人は健全に生きられない」ということがあるのではないかと感じます。

物欲や金銭欲、性欲、承認欲求に至るまで、人はさまざまな欲求を抱えて生きています。それらは、成長するにしたがい、親がフォローするには限界が見えてきます。患者さんの中には、「自分にとっては親が一番、大切なので、家族さえいてくれればいい」と豪語する方もいますが、現実には、家族では対応しきれないレベルの欲求を家族に求めるため、関係は破たんしています。

そのような患者さんの多くが、前述したように、親から「〇〇のことは、お父さんとお母さんが一生、面倒をみてあげる」「無理して仕事なんかしなくてもいい」と言われてきています。それゆえに弊社が介入しても、「親がそう言ったのだから、自立(就労)する必要はない」と言い張ります。

親としては、「本人を支えてあげたい」「親の自分だけは味方でいてあげたい」という意味で「面倒をみる」と言ってきたつもりでも、子供は成長するにつれて、その意味を自分に都合よく曲解していきます。金銭や物の要求に直結するようになるからこそ、親が疲弊して限界を迎えてしまったことや、気持ちの離れた親と生活を共にしても幸せにはなれないという現実を、受け入れようとしません。いつまでも「親は約束を守るべき(自分の面倒をみるべき)だ」と主張し、なかなか先に進めないのです。

このようなことが繰り返されると、親の責任とは何かを考えずにはいられません。

憲法には、国民の三大義務として「勤労」や「納税」「教育を受けさせる」義務があります。つまり親には、子供がその義務を果たせる大人になるよう育てる責任があると言えます。もっとも病気や障害などにより、子供がその義務を果たすことが難しいと思われる場合もあるでしょう。そのようなケースにおいて、「仕事をしろ」「自立しろ」などと強いることが正しいとは思いませんが、子供が社会とどう関わりをもつか、社会の中でどのような役割を担って生きていくのか、親子共に考えていくことが必要でしょう。

そのためにも、家族の中で帰結するコミュニケーションをとるのではなく、常に「社会」という視線を入れることを忘れてはならないと思います。